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December,2024

Schein / シャインが表すモノ

私達と事象を隔てるレイヤーSchein/シャインについて前回は話をしたが、そのシャインを私達は日常において何処に見出せるのだろうか?
シャインを世界で初めて描いたのは印象派のモネと言われている。
あの睡蓮が浮かぶ湖面に反射して映り込んだ景色はつまりイメージであり、その景色と私達を隔てている湖面はシャインと定義する事が出来ると言う考えだ。そう考えると雨に濡れた窓ガラスもシャインを創出させるし、カフェに映り込む景色も写真に描き込まれた筆跡でさえシャインを創出させる。

このようにそのままの状態だと視覚化されないレイヤーが何かの媒介を通して表れる現象は私達の日常に溢れている。そしてそれは視点を変えればシャインのメタファーであると認識することが出来る。
またそれとは逆に視覚できるシャインとしてリヒターが描いたのがVorhang1 (カーテン1)という作品だ。部屋の中から窓枠を通して見た外の景色を描いた作品(窓枠やカーテンごと描かれた風景画)は沢山あるが、リヒターはカーテン1において外景と私たちを隔てるカーテンのみを描いている。美しいカーテンのドレープを描いているのではなく私たちを世界や現実と隔てる一つのレイヤー(シャイン)として描いているように感じられる。 

※ 参照先サイト:The official website of Gerhard Richter (www.gerhard-richter.com)

今期はこのシャインのメタファーがコレクション制作の様々なディテールで使用されており視覚化されないレイヤーをデザインした。また届き得ない現実の表現としてはディテールを段階的に消すなどの表現も含まれている。そして今シーズンのイメージビジュアルもこのシャインにフォーカスしたものだ。

被写体であるモデルとカメラの間にフィルムというレイヤーを設置し、フィルムにフォーカスする事で変容する被写体のイメージを捉える試みだ。シャインが存在するビジュアルは多くの場合ブラーであり観る人の焦点を迷わせる。フィルムに意識を向ければそこに見えるのは素材感やシワであり本来被写体であるモデルは背景へと変容する。
また逆にモデルに意識を向ければそこにはブラーな人物像があり、部分的にしか見えないディテールが情報を制限している。このビジュアルではモデルと洋服を被写体としながらファッションシューティングが「それ以外の視点」をそこに内包できるのかを試みた。ファッションという瞬間的に美しさやスタイルを捉えるステージにおいてそこをスローダウンしそこから得られる情報のパラダイムをシフトできるのか?という思考だ。

本コレクションの制作過程で様々なリヒター作品を観て感じたのは、彼がシャインを通して表現したのは届きえない現実なのではないかという思いだ。掴めそうで掴めない、届きそうで届かない、私たちの知覚の限界、思考の限界が描かれているように感じたのだった。