December,2023
Christian Boltanskiの創作活動に向き合ったRESORT 2024シーズン。
絵画を纏う感覚で装うことのできるアイテムに仕上がるよう、衣服をキャンパスの様に見立て、各パーツ毎にそれぞれ異なるグラフィックを描きました。
“ Guerbois(ゲルボア) “ と題したグラフィックについて、デザイナーのNAKAが語りました。
以前から自分は多くの絵画に魅せられてきました。アントワープで学生をしていた時も作品作りに行き詰まると近所にあるノートルダムでルーベンスの絵画を見て、落ち込んだ気持ちを切り替えていた覚えがあります。最近では仕事でパリに頻繁に通うようになった事もあり、近代絵画に多くのインスピレーションを受けるようになりました。
ルーベンス “キリストの降架” ノートルダム大聖堂 (アントワープ)
そのような中で自分の中に自然と出てきた疑問は、自分たちが作る装いの中にも絵画的な力を持ち込む事は出来ないだろうか?というものでした。
構成的なバランスや前衛性という点においてはもちろんファッションにも共通する部分があり様々な試みをしているのですが、同じ視覚的な表現である洋服の柄やプリントには絵画との大きな距離を感じていました。
もちろん絵画は空間において観者と対峙するわけで、それを直接纏う必要のある洋服の柄とは求められる機能や役割が違っています。
ただ装いをそれぞれのオケージョンに必要な自分の外側に向けた衣装という視点ではなく、纏う時に自分自身を鼓舞し何かしらの感情的・情緒的変容をもたらす内側に向けた機能として捉えるなら、洋服にも絵画が持つ力を内包する価値があるのではないか?と思うようになりました。
そこで何が洋服に使用されているプリント柄と絵画を隔てているのか、それぞれに内在する圧倒的な質の差は何かを考えました。
僕がオルセーなどで観る絵画には画家が考え抜いたテーマや深い意図、それを表現する為の様々な実験や技巧が積み重なっています。作家が強く物語る想いや信念がそこには描かれています。一方で洋服の生地に表現された柄はそのドレス等がいかに美しく優美で、それを纏う人を昇華させる事が出来るかに非常に大きい力が注がれています。
つまりそのイメージ(絵柄)が作られる意図が作家本人の主張・表現に集約されているのか、それとも纏う人の美しさの表現に当てられているかの違いです。
それは双方とも美しく優劣をつけるものではないですが、装いの中に見られる柄にあっても絵画が持つ表現や技巧また作家の意図や意思を内包することが出来るのではと考えたのです。そしてそれが可能であれば私がアントワープやパリで出会った絵画から得たような様々な力やインスピレーションを装いに付加出来るのではないかと思いました。
そこで思いついたのがプリント柄という視点で柄を構成するのではなく、絵画と同じように洋服一着をキャンバスに見立て一枚の絵になる柄を描いてはどうかという考えでした。白いドレスを仕立てた後にそれをトルソーに着せ、細部に至るまで筆で柄を描き入れるという方法です。
つまり最初にプリント柄を作ってからドレスを仕立てる通常のプロセスとは違い、ドレスというベースを作ってからそこへ絵を描くという描画に大きな価値を据えたプロセスです。襟、肩、袖、身頃の描写に流れが生まれるように、また身体の持つ立体性の上で絵が膨張しないように、そしてドレスが持つ対称性やディテールを超えて絵画として美しさを保つ事を意識しました。
そこにはドレスを美しく完成させるという通常の意識に加えて、絵画としての強度を弱めずそれを表現するという意識が重なり、それを交差させながら進むという新しい創造のプロセスがありました。そしてこのようなプロセスから生まれてきたアイテムには通常のドレス的着地とは異なる絵画的な着地や、プリント柄とは違ったドレス全面での構成表現を感じるようになりました。
Guelbois柄原画とパターンデータの照合
何層にも重なる筆跡 – Guerbois / ゲルボワ柄 2024 RESORT
柄の構成においては最初から抽象性を帯びたものを考えていました。
今シーズンのリサーチで見つけた“観者に作品の理解を委ねる”と言うクリスチャン・ボルタンスキーの言葉からの影響です。抽象性はイメージを限定せず、観る者が自分の視点や感覚とリンクさせて作品を捉えるという力があり、その理解や受容が非常に柔軟である点も選んだ理由です。
また筆跡を残す事であくまで柄の構成ではなく描写が存在している事を表現しました。ある人には木漏れ日に見え、またある人からは水に沈んだ花束に見えるという声を聞きました。
それがどのように見えてもそれは正しく、また見え方が変わっていく可能性にも面白さがあるのではないかと考えています。
綺麗な柄としてではなく描かれた絵を纏うという行為は、作者の思考や意図とそれを着る人の思考に何らかの交差が生まれると信じています。
それは私にとっては理解や受容を通したコミュニケーションであり、洋服を作る人と着る人の新しい関係性を生み出すものだと信じているのです。
※Guerbois /ゲルボワとは印象派のマネ、ピサロ、ドガ、セザンヌなどが絵画のあり方を語りあった場所(様々な思考を交差させた)カフェ・ゲルボワから名付けたものです