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July,2024

Pre-Fall 2024 “印象派と習作について”

19世紀のパリ、普仏戦争前の第二次帝政時代(ナポレオン3世の統治)の芸術界と現代のファッションに何か似た空気を感じていました。そこには安定があり、正しさがあり、自由を謳いながらとても限定された美意識があります。当時のパリはナポレオン3世の政策とリンクした古典主義とロマン主義だけが支持され、サロン(官展)に入選するのは決まって写実的でアカデミックな作品ばかりでした。

そんな時代背景の中現れたのがのちに印象派と呼ばれるようになったアーティスト達でした。彼らは当時のサロンが支持していたスタイルとは全く異なるスタイルを打ち出しました。写実的な描写や明確な輪郭が美しいとされる中、光や色彩の瞬間的な印象を捉えることを重視しました。練習の時にこそ使われていた筆触(筆の跡)を本作に取り入れ(筆触分割)、全く新しい光の表現を生み出しました。またセザンヌに関しては塗り残しをも表現方法として取り入れました。

筆触分割による色彩表現

モネ、ルノワール、マネ、ドガ、ピサロなど自由な作風で絵画制作を行っていた当時の若い画家達は王宮が開く国際芸術展で自分たちの作品が落選し続けると、自分たちの作品を集め独自の展覧会を開きました。これがのちに印象派展と呼ばれる様になった展示会でありそこに出展していた画家達は印象派と呼ばれる様になりました。

印象日の出 クロード・モネ 1872

私達は今シーズン印象派の画家達が提唱した習作(練習の為に作った作品)に宿る美しさの表現をコレクションに取り入れ、制作の途中、完成する前の未完の状態に様々な美しさを見出しました。

ファッションデザインの習作にあたるドローイングにおいては様々な線がデザイン画の上でレイヤーされていきます。シルエットを表すライン、シェイプを整えるライン、ディテールを表すライン等多くのラインが交差し重なり合います。本来はその中から一番ふさわしい線が選ばれ、他の線は却下されて消されていきます。しかし今シーズンのデザインにおいては習作(ドローイング)で描かれた幾つかのディテールやラインを一つに選ばず、選択されないままの状態をカタチにしました。

ハイネックとボウタイカラー、スタンドカラーとクルーネック、ボタンとベルト等本来はどちらかに選ばれるディテールを選択せず双方を取り入れる事、またディテール等を描き切る前でデザインを完成させ洋服自体に余白を持たせるという習作のメタファーも取り入れました。

私達は時間を経て得られる知性や個性の象徴として天然石をデザインに取り入れる事がありますが、今季は未完の象徴として自然の風合いのままの石を付属品として使用しました。石に穴を空け原石をボタンやビーズの代用として使用したアイテムもあり、そこには人の手が入る前の未完のメタファーを感じる事が出来ます。

今季のグラフィックは印象派の画家達が瞬間の印象を表現する為に用いた筆触分割から発展した柄をデザインしました。色彩をパレット上で混ぜずに原色をキャンバスに並べていく事(色彩は鑑賞者の網膜の中で混ぜられるという考え)で立体感や奥行きを表現するというその行為自体を柄として表現しました。

また瞬間を切り抜くという意味では、洋服に瞬間的に生まれる布の流れやギャザー、ドレープを意図的にデザインする為にランダムに配置したシームにベルトを挟み込むという新しい試みも行いました。そうする事でただウエストに巻いたベルトでは生み出されない複雑なドレープやギャザーを表現しています。

印象派の時代と同様、現代においても美しさには様々な定義が存在しています。より間違いの無い、より整った、歪さを感じさせないその美しさがあらゆる側面で提案されています。その様な美に一つの答えが存在してしまっている状況が私には当時と重なって感じられました。

今季印象派の画家達と向き合う事で美しさについて再度考える機会を得る事が出来ました。彼らの提唱した美のカタチにはただ完成へと近づく方法とは違う、個々の美意識に基づく美しさが存在していました。何か定義された美へと自分を近づけるのでは無く、美しさというのはそれぞれの個性の中に存在しそれに気づいていく事なのではないかと考える様になりました。

私たちの今季のコレクションには様々な未完のメタファーが表現されています。それは私達自身がそれぞれ未完であり、しかし同時にその未完にこそ美しさや個性が宿っているという私たちの視点が内包されているのです。