October,2026

イサム・ノグチの言葉で非常に興味深いものがある。
Brancusiが鳥ですることと、あるいは日本人が庭ですることは自然のエッセンスを抽出し蒸留すること。

コンスタンティン・ブランクーシ Le Coq

コンスタンティン・ブランクーシ Le Poisson / Fish
ブランクーシが作った彫刻は抽象と思われがちだが、あれは概念の具象であり抽象ではない。つまりイデアに形を与えたものであり、彼自身はイデアを超えた真実があると信じていたと自分は思っている。そして日本の庭は世界を縮小して表現した空間であり、象徴であるが故に、視覚で捉える現物よりもそれらしい。つまり海よりも海らしく、島よりも島らしく存在している。それはつまりイデアに形を与える行為であり、エッセンスの蒸留と言える。

龍安寺 枯山水庭園

玉堂美術館庭園
この二つの共通性に気づき並列で捉えたイサムの言葉でブランクーシの作品を全く違う目で見るようになった。日本人が持つ自然への畏敬の念やその美しさの本質を掘り下げる行為に共通する何かを感じたからだ。
ブランクーシがもし何かしらの機会を得て日本に来ていたら、彼は何を作っただろう。イサムが作る庭とはどのように違ったのだろう。真っ白な庭園(ブランクーシは白を非常に好んでいた)がどこかで作られていたかもしれないと思うだけで愉しい気持ちになった。