November,2024
美しいものには必ず力がある。言い換えれば力があるものは美しい。
そしてその圧倒的な力によって人を打ち負かす程の絵画を生み出した作家がドイツの現代美術家ゲルハルト・リヒターだ。
リヒターの作品に宿る力というのは、視覚に飛び込んでくるあの圧倒的な描写力やスキージを使ったエモーショナルな筆跡だけではない。自分が魅了されるのはその絵画が描き出そうとした作家の視点であり、誰も描こうとしなかったその不可能とも思える議題へ向かった姿勢だ。
自分の中で具象画とはその視覚に映るものを描くと捉えていたが、リヒターが描いたものはその視点に映らないものだったと思っている。映らないが確実に存在しているもの、絵を描く時に自分と自分の目の前にあるオブジェクトの間にある見えないレイヤー、つまり作家と対峙するオブジェクトを永遠に隔てている何か、である。そのレイヤーをリヒターはSchein/シャインと呼んだ。
※ 参照先サイト:The official website of Gerhard Richter (www.gerhard-richter.com)
リヒター絵画の代表的な表現としてブラーな(境界がぼけたような)描画があるが、この表現には幾つかの作用があるのではないだろうか。まずは人が向き合えない(向き合うに耐えない)事実と対峙させることが出来るという点、そしてもう一つが画家のフォーカスがオブジェクトではなくオブジェクトの手前に合わせられているというメッセージだ。カメラのフォーカスをオブジェクトの少し手前に合わせた時にオブジェクトがブラーになるという作用であり、つまり作家が描いているのがオブジェクトだけではなくその前に存在している見えないレイヤー(シャイン)でもあるということ。
自分が心を打たれた作品に”October 18th 1977”という連作があるが、そのシリーズにもこの二つの作用が働いている。ドイツ赤軍に所属したウルリケ・マインホフという女性を描いたこのシリーズは全体がぼやけたように描かれており、そのフォーカスは彼女に合わせられてはおらず彼女と作家の中間に合わせられているように見える。その絵画を見て感じるのは、リヒターが表現しようとしたのは現存している彼女にはメディアが映しだすウルリケも私達が想像する彼女も到底届き得ないという事であり、リアリティーと私たちの間には双方を隔てるシャインが存在していると言う事なのでないだろうか。
※ 参照先サイト:The Museum of Modern Art Website (https://www.moma.org/)
それは絵画の限界を表しているようであり、同時に絵画の新たな可能性を示しているようにも映る。そして私たちが向き合う様々な事象と私たちの間には双方を隔ているレイヤーが存在しているという気付きを与えてくれる。私はここへ人をいざなうリヒターの視点に大きな力を感じ、同時に強い美しさを感じた。またその見えないものに思いを馳せるという行為が非常に創造的であり同時に現代において重要な価値をもつものだと感じた。
そこで今季のコレクションにはこのSchein/シャインという視点をメタファーとしてディテールに変容したいと考えた。見えないものをディテールでどのように表現し得るのか?また表現していく時に新しい美しさに繋がるのでは無いかという思いがあった。
次回はこのシャインを自分たちが日常のどこに見出し、どの様にディテールへと変容したかを話したいと思う。